グッドパッチ第1号社員の卒業
1月末はグッドパッチの第1号社員でもある衣川さんの最終出社日だった。45歳でグッドパッチの中では1番年配のおっちゃんでありながらも、その優しい雰囲気から誰からも慕われるデザイナーだった。あんまり社員が退職する度にブログを書きたくはないのだが、衣川さんだけは僕が雇った最初の社員であり、彼がいなければグッドパッチがなかったという程の重要な人物なので書き記しておきたい。
出会いはデジハリ大阪校
衣川さんとの出会いは5年半前、デジタルハリウッド大阪校で一緒のクラスになったのが初めての出会いだ。僕は当時26歳ですでにWeb制作会社のディレクターとして働いていたのだが、30歳までに起業しようと考えていたのでその仲間探しも兼ねてデジハリのWebデザイナー専攻に通っていた。そのクラスに明らかに年代が一世代上のおっちゃんがいた、それが衣川さんだった。衣川さんは当時40歳で、元々はカタログ通販のDTPデザイナーを20年近くやっていて、これからはWebができないとダメだと思ってデジハリに通っていた。周りは若い子達だらけだったが衣川さんのその優しい雰囲気でデジハリでもみんなに慕われていたし、やはり当時から経験もあるので抜群のデザイン力でクラスでも衣川さんにPhotoshopの使い方を教えてもらいにいってた子もいた。僕も一緒のクラスだったので良く話していて仲も良かったが、まさか後々衣川さんに自分の作った会社の最初の社員になってもらうとはこの時は考えてもなかった。
そこから、デジハリを卒業して衣川さんは当時会社を退職してデジハリに通っていたし、40歳でデザイナーではあるがWeb経験がなかったので、これは就職活動大変そうだなと思って、当時ちょうど人手が足りてなかった僕が働いてたWeb制作会社に誘ってそこでデザイナーとして一緒に働き始めた。
衣川さんはWeb経験があまりなかったのでコーディングはなかなか大変そうだったが、デザイン力はやはりかなり高く僕の担当した案件も衣川さんに多くのデザインをやってもらった。衣川さんは僕の設計をしたWebサイトを本当にイメージ通りに上げてくれるのだ。それに仕事でも絶対に出来ないとは言わないし、グチも絶対に言わない、一番年上なのに全く上からモノを言わないという神様みたいな人で、僕は衣川さんはデザイナーとしてだけではなく人間としてとても信頼していた。
そこから僕は突如会社を辞め、サンフランシスコに行き、帰ってきてグッドパッチを立ち上げる事になった。その時に僕は衣川さんをデザイナーとして誘いたいなという思いはあった。衣川さんとなら絶対良いデザインが作れると思っていたから。だけど難しかったのは僕はグッドパッチを東京で立ち上げる予定で、衣川さんは奥さんも子供もいて大阪を離れる事ができなかった。グッドパッチに誘うことはできないけど、会社のロゴと名刺は衣川さんに作ってくださいと頼んだ。当時グッドパッチを一緒に立ち上げた谷さんもデザイナーだったが、なぜかロゴは衣川さんに頼むと僕は決めていたのだ。
会社名を伝えて、一つだけ要望を伝えた。
**「ロゴのメインカラーはサンフランシスコ、シリコンバレーの空、カリフォルニアの空の色ブルーにしてください。」 **それ以外は衣川さんにお任せした。
出てきた候補案の一部
その中からサンフランシスコでお世話になってたbtraxのブランドンさんやbtraxのみんなのアドバイスをもらって今のこのグッドパッチのロゴが出来上がった。
本当に良いロゴが出来上がって、さすが衣川さんという感じだった。このロゴはのちのちグッドパッチの大きな武器となった。
そして、僕は東京に行ってグッドパッチを立ち上げた。実は起業してからもちょこちょこ遠隔で衣川さんに仕事を手伝ってもらってた。東京でデザイナー人脈もなく、信頼できるデザイナーもいなかったし、谷さんが他の仕事で回せないデザインを衣川さんにお願いして、仕事が終わった夜中にデザインをしてもらっていた。Gunosyの初期のランディングページのデザインも衣川さんの作品だ。あの時も時間がなくて、僕がワイヤーフレームを書いて衣川さんにこんなイメージで作ってもらてますか?と夜中にSkypeで伝えて、1日くらいで上げてきたのがあのGunosyのランディングページだ。その後、Gunosyのランディングページのフォーマットは色んな所でパクられた。
## 起業後、最大のピンチを助けられる
グッドパッチを起業して半年後、色んな事がうまく行かなくなって取締役の谷さんが会社を辞め、グッドパッチは僕1人になってしまった。全ての事業を捨て、UIデザインの事業にフォーカスすると決めた矢先に1人になってしまった。残りのキャッシュも残り3ヶ月を切っていた。売上もないし、UIデザインの会社なのにデザイナーもいない、もうどう考えても3ヶ月後に潰れる会社にグッドパッチはなっていた。でも、僕はどうしても諦めたくなくて3ヶ月あがいてやろうと思ったが、UIデザインをやるにも設計はできるが肝心のデザイナーがいない。東京には自分が信頼できるデザイナーはまだいない。そんな時に頭に浮かんだのは衣川さんしかいなかった。衣川さんしか僕の設計をイメージ通りのデザインにできるデザイナーはいない。ただ衣川さんは東京には来ることができない。。でも、衣川さんとなら遠隔でもうまくやっていけるかもしれない。そう思ってSkypeで話してみることにした。しかし、タイミングが悪い事に衣川さんは転職活動の最中で、すでにある程度給料が出るところに内定をもらっていた。
それでも、衣川さんしかいないとダメ元で
「実は会社1人になってしまいまして、デザイナーが必要なんです。。衣川さん遠隔でもいいのでグッドパッチに入ってもらえませんか・・?」
と聞いてみた。すると衣川さんは二つ返事で**「やりましょうか」**と即答し、
僕は**「え、3ヶ月後にあるかどうかわからない会社ですよ・・!」と言うと「まあ大丈夫でしょう」**と衣川さん。
「給料も最初はアルバイトみたいな給料しか出せないですよ・・」 「最初はしょうがないですね、がんばりましょう」
2012年6月グッドパッチに初めての社員衣川さんが入社した。
僕は当時43歳の衣川さんが奥さんと子供もいる中で3ヶ月後に潰れるかもしれないグッドパッチに入るというリスクを負ってまで僕を助けてくれたので、僕は覚悟を決めた。グッドパッチを絶対に潰さない、そして衣川さんを定年までちゃんと雇い続けると。そこからは僕は当時ローンチしたばかりのクラウドワークスでUIとかデザインとか名前がつく仕事をひたすら取りに行き、キャッシュを稼ぐために仕事を回した。
そして、衣川さんが入社して少し経った後、手伝っていたGunosyが大きくメディアに取り上げられた。そこからは怒涛の毎日だった。突然、毎日のように仕事の依頼のメールが舞い込み、人を雇わなければいけなくなった。毎月の様に新しい人が入り、最初は僕が秋葉原の10坪のオフィスでたった一人で座って、大阪の衣川さんとSkypeでひたすらMTGしていたのが、いつしか僕が仕事を直接回すのではなく他のディレクターに任せるようになり、衣川さんとSkypeで直接デザインの指示を僕がすることはなくなっていった。
それでも、毎日グッドパッチには朝礼と終礼がありその度に大阪の衣川さんにSkypeをつなげるのがグッドパッチの恒例の光景で、MTGにもSkypeで参加していたのでSkypeごしに毎日顔は合わせていたし、何ヶ月に一回は何週間か東京に来てもらってオフィスで一緒に仕事もしていた。衣川さんが東京に来る度に人が増え、オフィスも4回も移転して、「また広くなりましたねー」なんて言っていた。
そのまま、うまく行けるかなと思っていたけど、去年衣川さんがアサインされたある案件で炎上が起こり、衣川さんのせいでは全くないのだが、少し辛い時期が続いた。その時に普段弱音など全く吐かない衣川さんが退職の意を伝えて来た。しかも自分の責任だと。その時、僕は全力で止めた。全く衣川さんの責任ではなかったし、衣川さんをこんな気持にさせてしまった自分が情けなくなった。**「衣川さんが辞めたら僕がグッドパッチをやっている意味はないです。」**と言って、何とか撤回してもらった。衣川さんだけはこんな形では辞めさせたくない。
そして、いつもの様に毎日Skypeで衣川さんを朝礼で呼ぶ毎日が戻り、渋谷に移転してからどんどん人が増えていった。この半年ほどは誰も退職者が出ることもなく、モチベーションが高く、スキルも高い人材がどんどん入社し、グッドパッチのレベルは更に上がっていった。
そんな中、年末に衣川さんから再度退職の意向を受けた。今度はもう覚悟が決まっているようだった。今回は僕が止めれないように転職も決めてきていた。もちろん、それが衣川さんの100%の意向ではないのはわかっていた。衣川さんだってグッドパッチでずっと働きたいし、できることなら一緒の場所で働きたい、そう思っているはずだ。だけど、どうしても距離の問題があって家族がいるから東京に移住する事はできない、そして今のグッドパッチの仕事の進め方はクライアントとチームになって全員で顔を突き合わせながら一体となり良いサービスを作っていくというやり方、案件のレベルも2年前に比べたらとんでもなく上がっている、より一緒の場所でないと良いモノが作れない。そう考え衣川さんはグッドパッチのために身を引く決意をした。僕は大阪にもオフィスを作る事も提案したけど、今の大阪にUIの案件やグッドパッチがやるような案件は少ない事とそれでオフィスを作るというのは違うと断られた。衣川さんの決意は固かった。
正月の1週間に衣川さんが東京に来ている時に初期メンバーを集めて夜飲みに行って衣川さんが退職する事を伝えた。一緒に行ったスタッフの1人は泣いてた。次の日みんなに盛大に衣川さんを送り出そうと伝えた。
グッドパッチは毎月月末にピザパッチというイベントをやっているのだが、1月末はキヌガワパッチ、キヌパッチと称して衣川さんの送別会を行った。衣川さんとの2年半を振り返り、みんなからのメッセージと感謝の言葉を伝え、途中シンガポールに行ったゆかしもSkypeで登場し、本当に良い会になった。衣川さんの優しい人柄を表すような会になった。


衣川さんがグッドパッチに入社して2年半、2人から50人まで仲間が増えて、本当にジェットコースターの様な毎日で5年くらい経ったんじゃないかと言うくらい短い期間で色んな事があった。衣川さんがグッドパッチに入ってくれたのは本当に大きなターニングポイントで、あの時に僕を衣川さんが助けてくれなかったらもしかしたら諦めていたかもしれないし、グッドパッチのロゴがカッコイイと言ってグッドパッチに応募して入社したスタッフもいる。Gunosyのランディングページだって、衣川さんがデザインしていなかったら今はないかもしれない。
僕は送別会で衣川さんに手紙でこう伝えた
「わかって欲しいのは僕と衣川さん作った土台の上にグッドパッチが出来上がっているという事です。このグッドパッチのロゴは僕らの誇りのシンボルです。
このグッドパッチのロゴがあり続ける限り、衣川さんの魂も生き続けるということです。
だからグッドパッチメンバー全員でこのロゴを守ります。
グッドパッチはおそらくここから更に成長を加速して、5年後には世界中の人達にも知られるような会社になっていると思います。衣川さんもグッドパッチの第一号社員という誇りを失わずに次の職場でもグッドパッチのデザインマインドは忘れずにハートに響くデザインを追求してください。
ここから、しばらく別々の道を歩むことになりますが、また飽きたらいつでも戻ってくてください。僕は基本衣川さんを定年まで雇うつもりでいたので、いつでもグッドパッチに戻ってきてください。」
起業家が初めて社員を雇うというのは、色々な思いがあると思う。もちろん、最初から良い人材に出会えるとは限らない。
だけど、僕が初めて雇った社員は最高の人材であり友でした。
